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ディープな大樹 -旧国鉄広尾線 大樹駅跡-

こんにちは、大樹町地域おこし協力隊の宮田です。
今回は、私が町内で見つけた、ディープな大樹町の魅力をお伝えしようと思います。

旧国鉄「広尾線」って?

大樹町には、約35年前まで鉄道が走っていたことをご存じですか?旧国鉄の「広尾線」です。
広尾線は帯広と広尾を結ぶ鉄道で、昭和4年から昭和7年にかけて順次開通し、昭和62年に全線が廃止されるまで、人や荷物を運び、南十勝の発展に貢献してきました。

「新大樹町史」より

広尾線は、昭和49年頃「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで全国的に大人気となり、現在も観光スポットになっている愛国駅・幸福駅がある路線でもあります。名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
(この「幸福ブーム」では、昭和48年度には7枚しか売れなかった愛国ー幸福間の切符が、翌年の49年度にはなんと740万枚も売れ、5億円の収入を上げたそうです。)

2022年の幸福駅

町の表玄関、大樹駅

大樹町の歴史についてまとめた本「新大樹町史」によると、当時大樹町には、十勝東和駅、大樹駅、石坂駅の3つの駅がありました。
一番大きな駅が大樹駅で、町の表玄関として賑わっていたそうです。襟裳、大雪山、阿寒を結ぶ観光コースとして夏の間のみ運行された期間限定の準急行も止まる駅でした。開駅当時の駅舎は旅客や貨物の取扱が増えたことで狭くなり、昭和41年に一度改築されました。

十勝東和駅
石坂駅
旧大樹駅
新大樹駅
(写真は全て「新大樹町史」より)

「新大樹町史」によると、昭和35年頃のピーク時には1日の乗降人数の平均が1,000名を超えるほどの利用があったそうです。
広尾町の新生駅発、大樹駅行きの切符が「赤ちゃんが健やかにたくましく成長して、大器(大樹)に」という意味にとれることから人気になり、幸福ブームには及ばないものの、3か月で約2万枚を売り上げたことも。

「新生から大樹ゆき」乗車券

しかし、自動車の普及に伴って徐々に利用客数が減少し、昭和62年に57年間の歴史に幕を閉じました。

現在の大樹駅を訪ねてみた

廃線から35年以上経った今、大樹駅はどうなっているのでしょうか?覗きに行ってみました。
大樹駅は、道の駅コスモール大樹の少し東側にあります。
駅舎の建物は現在もしっかり残っていて、「大樹駅」の表示もそのままです。

現在の大樹駅の駅舎
「大樹駅」の文字もしっかり残っています。

建物の中には入れませんが、窓から覗いてみると、改札や待合室がまだ残されているのが見えます。にぎわっていた頃のことを思うと少し切ない気持ちになりました。

大樹駅の駅舎内
奥に改札の跡が見えます。

線路があった場所は「大樹交通公園」と呼ばれる広場になっています。

ホーム跡と大樹交通公園

ホーム跡には、レトロな信号レバーも。

信号レバー

ホームの端には、駅名標も残っています。ちなみにこちらは、鉄道好きの役場職員の方が数年前にひっそりリニューアルしたそう。

駅名標

廃線になって35年以上経ちますが、大樹駅跡には、案外たくさん当時の名残が残されていました。

もう一つの鉄道関連スポット

ところで、大樹町で鉄道と言えば、大樹町役場北側の柏林公園には、SLが展示されています。このSLはどうしてここに置かれているのか、気になったので調べてみました。

大樹町役場北側の駐車場の隅、国道沿いにあります。

「新大樹町史」によると、このSLは大正11年から室蘭本線、宗谷本線、天北線、名寄本線、深名線、興浜南線、石北本線、根室本線、池北線など、道内各地で活躍した後、昭和41年から昭和50年まで広尾線を走っていた「59611号」というSLだそう。53年間で約230万㎞(地球58周分)を走るという大活躍をしたSLです。
役目を終えた後、町内のSLファンによる募金活動などの働きかけにより、この場所に設置されたのだそうです。

鉄道自体はなくなってしまいましたが、当時の面影を探し、昔に思いをはせながら町内を巡るのも楽しいものでした。個人的には、このような場所がずっと残っていくといいな、と思っています。


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