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大樹町に来たのは偶然だけど必然でしかなかった(前編)【長谷川彩】

はじめまして!

改めまして、大樹町地域おこし協力隊の長谷川彩です。
色彩の「彩」で「あや」ではなくて「さい」と読みます。100%初見では読めない名前ですみません。名前だけでも覚えて帰ってください(笑)

記念すべき町民ライター第1回を町民歴2ヶ月の私が務めて良いものかと、大変恐れ多いのですが、今回は私の経歴と、なぜ大樹町に移住することになったのかをお話したいと思います。「移住先を検討している」「どうやって決めたらいいのかわからない」と思う方にとっては、何かヒントになるかもしれません。ぜひご一読ください。

私は、去年の夏まで大都会トーキョーはオモテサンドウを拠点に本にまつわる仕事をしてきました。「本」に関わる仕事をしていたのは、本が好きだったからに他なりませんが、もうひとつ「北海道に移住するための手に職づくり」をしていたことも理由に挙げられます。

ずっと北海道に移住したかった

私は、学生の頃から北海道に憧れていました。どうしてかと聞かれると、それだけでもうひとつ記事が書けてしまうので割愛しますが、とにかく北海道に住んでみたかった。もともとはご多分に漏れず「水曜どうでしょう」にハマり、高校生のときに初めて北海道に来たのがきっかけですが、そのときすでに「なんだか好き」となり、北海道に移住したいという気持ちを募らせていきました。

そこで、新卒で入った(本に全く関係のない)ブラック企業を1年で退職したあと、富良野のラベンダー畑で夏季限定の住み込みアルバイトを経験しました。ラベンダーの香りがあたりいっぱいに満ち、目線の先に十勝岳連邦を望むカフェで、忙しいながらも最高すぎる時間を過ごしました。これは、私が描いていた「夢の北海道生活」そのものでした。そのまま北海道に棲みついてもよかったのかもしれません。が、私はそのとき「これはきっと無理だな」と思ったのでした。

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▲「典型的な北海道」を夢見るには十分すぎる場所


北海道では仕事をつくっていく

新卒2年目の私には、これといったスキルがありません。当時のままの私が富良野に住み着いたとしても「夏はラベンダー畑(もしくは農家さんのお手伝い)、冬はスキー場のアルバイトがいいところだな」というのが本音でした。

それらの仕事が悪いと言っているのではなく、自分と仕事の相性や、純粋な好き嫌い、得意不得意、また「持続可能性(この仕事を続けていけるか?)」と「定着可能性(この仕事によって土地に根ざすことができるか?)」といったことを考えたときに「今ではない」ことを悟りました。また、「すでに“ある”仕事に私が就くことで、ただでさえ仕事の母数が少ないローカルという現場では他人の仕事を奪ってしまうことになる。せっかく移住をするのなら、自分で仕事をつくりたい」と(今となっては)よくわからない生意気なことを考えてもいました。

そこで、私はいったん北海道から地元横浜に戻ることにしたのです。


じゃあ、何をするか?

自分のやりたいことは帰る頃にはもう決まっていました。

それは「本」に関すること。

なぜ、本なのかはそれだけでまた記事がひとつ書けてしまうので割愛しますが、とにかく本が好きだった。例えば、本を売ることができて、その知識があり、なおかつ本を作ったり、文章を書けるようになれば、それは「手に職」になるのではないかと思ったのです。

そこで、たまたま地元へ帰る時期に求人を募集していた「湘南 蔦屋書店」にオープニングスタッフとして入社しました。担当は児童書。どんな本を仕入れるか、どんなフェアをするのか、通常の書店の業務に加えて、子ども向けのイベントも数多く手がけました。チェコのアニメーション「アマールカ」のお人形を作ったり、『しろくまちゃんのほっとけーき』を焼いたり、クリスマスにヘンゼルとグレーテルのおかしのいえを作ったり。

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▲おおよそ書店員の活動とは思えない子どもたちとのふれあい

それに並行して2016年にブックディレクター の幅允孝氏が代表を務める「バッハ」という会社に所属しました。これが私にとって非常に大きな転機であったと思います。冒頭でもお伝えしたとおり、ここでは本に関わるあらゆる仕事(ブック・ディレクションと呼んでいました)を業務としていました。

公共図書館や書店はもちろん、企業や病院、それから幼稚園、動物園や百貨店など様々なクライアントが我々のところを訪れ、「今度こういう場所ができるのでそこに本を置きたい。お手伝いしてくれませんか?」と依頼が来ます。その依頼があった場所のイメージや実際に利用する人に合わせてオーダーメイドで選書をして効果的なしかけを用い、「本のある場所」を作っていくのが私たちの仕事でした。

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▲今まで関わってきたライブラリー(のなかでもすごいやつ)


「本のある場所づくり」から派生して、そこからイベントを企画したり、実際に本や冊子、ホームページを編集することもしていました。老舗酒造の300周年プロデュースや、学習塾のホームページづくり、観光連盟の周年記念誌など、大変ではありましたが小さな事務所だったので、基本的にはすべてのことを自分で回さなければならず「フリーランスとしての基礎」というか、「自分で仕事をしていくための体力づくり」はこの場所で育まれました。


さぁ、満を持しての移住先探し!

こうして、「本」を軸にいわば「本の何でも屋さん」として力をつけた私は、2019年8月に前職を退社し、本格的に移住先探しをスタートさせたのでした。そして、実際に大樹町に来ることが決まったのが2020年3月頃。それからコロナの影響もあり、9月に大樹町地域おこし協力隊として着任したというわけです

…と、やっと大樹町のお話が出てきたところですが今回はここまで。この後は、紆余曲折あった移住先探しについてお伝えしたいと思います。

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▲来たてのときに「何か映える写真を」と思い、萠和山展望台に登ったところ全然映えなかったし、鹿に遭遇して心拍数が上がりすぎた写真

ありがとうございました!

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