版画家・酪農アーティスト 下山明花さん インタビュー【長谷川 彩】
皆さん、こんにちは!
町民ライターの長谷川です。
大樹町には、若手芸術家を支援する「若手芸術家地域担い手育成事業」という仕組みがあります。芸術家の卵を招き入れ、創作活動や作品保管の場としてアトリエを提供、芸術家としてキャリアアップ支援を行う一方で、地域産業の担い手としても活躍してもらうというものです。
今回は、現役の「酪農アーティスト」として活動する版画家の下山明花さんにインタビュー!下山さんの今までとこれからについてお話を伺いました。
下山明花(しもやま あすか)
1994年北海道札幌市生まれ。2017年に東北芸術工科大学芸術学部 美術科 版画コースを卒業後、「若手芸術家地域担い手育成事業」に参加し、大樹町に移住。現在は、酪農の仕事に従事しながら、木版画の制作活動を行なう。
インスタグラム→ https://www.instagram.com/asuka.shimoyama/
▲旧尾田児童館のアトリエ
インタビューは、大樹町の市街地から10分ほど車を走らせた尾田地区にある旧尾田児童館で行われました。ここが、下山さんが制作活動をしているアトリエです。館内に入ると、集会所として使われていたであろう広い部屋に、下山さんの制作した作品や画材、そして摺りの工程で使用する大きなプレス機などが置かれています。
下山さんは、木版画を主な表現手段とするアーティスト。現実にある風景と、下山さんのなかにある想像の風景が交錯したどこか幻想的な作風が特徴です。近年の作品には、下山さんが大樹町やその周辺で実際に見た景色が反映されています。
例えば、こちらの作品は旧大樹ファーム(現MEMU EARTH HOTEL)敷地内にある競走馬のトレーニング施設をモチーフにしたものです。サーカステントが暖かな光に包まれて、夜の景色に際立っています。
▲ゆめのようなよる(2020年)
版画家になったきっかけは「偶然」だった
もともと漫画やアニメが好きだった下山さん。高校は、デザインアートコースがある札幌市立平岸高等学校に進学しました。コマ撮りのアニメーションを制作したり、PhotoshopやIllustrationなどのソフトウェアでデザインを学んだ後、山形県にある東北芸術工科大学(芸工大)の美術科版画コースに入学、木版画を学びます。
「高校3年間で私はデザインには向かないなと思った」という下山さん。クライアントの要望に沿ってアイデアを出していくのではなく「やりたいことをやりたい」と思い、大学はファインアートの道に進もうと思ったそうです。
芸工大のオープンキャンバスで、初めて木版画を体験して「彫ったものに絵具を乗せて刷り上がるまで作品がどうなるか分からない、めくったときにワクワクするのがおもしろい」と感じ、AO入試で版画コースに合格しました。
▲宇宙船のある丘(2016)
大学時代はみっちり制作に向き合った下山さんですが、「版画を始めて自分の作品らしくなるまでには時間がかかった」といいます。そのなかでも「これだ」と思えた作品が3年生の11月頃に制作した『宇宙船のある丘』でした。
「裕福な家庭で何不自由なく育てられた男の子と、貧しい家に生まれた勉強もできない暴れん坊の男の子がこの作品の主人公。ふたりは育ってきた環境や性格も正反対ですが、“素の自分を表に出せない”という共通点があります。そんなふたりが宇宙船を目指して逃げようとしている……このようなストーリーの挿絵になりそうなものを目指しました」
作品のなかで宇宙船に見立てたのは、ある山の中腹にあった東屋。もともと本を読むことが好きだった下山さんは、実際の風景にストーリーを考えて、「小説の一コマ、映画のワンシーン」を切り取ったような作品をつくることを得意としていました。
ちなみに、今は「描いてみたいモチーフを決めたら、版を彫って刷りながらイメージを展開していく」という描き方に変わってきているそう。最終的にできた絵をみてストーリーを思い浮かべるそうです。
在学中に自分の作品を確立しつつあった下山さん。このまま卒業後も、制作を続けられる環境を求めていました。
さらに、在学中に下山さんは田舎暮らしや自給自足の生活に憧れをもつようになります。
「田舎暮らしに憧れるようになったきっかけは2つ。ひとつは、大学の課外活動で卒業生が裏山に一軒家を借りて、シェアハウスをしていたこと。そこでは、畑を作ったりもしていてとても楽しそうだなと感じたんです。もうひとつは、当時見た映画『リトル・フォレスト』と『西の魔女が死んだ』の影響。映画のなかの“のんびりした暮らし”に惹かれたんですね」
制作を続けながら、田舎暮らしを実現できる場所
大学4年生の春のこと。三菱アート・ゲート・プログラム奨学金の説明会に参加した下山さんは、若手芸術家の啓発・育成などを事業とするAGホールディングスという企業と知り合います。ここで「アーティストの卵と農林水産業をマッチングさせる新しいプログラム=若手芸術家地域担い手育成事業」の存在を知ることになります。
奨学金は惜しくも落選をしてしまったそうですが、面接の際に「田舎暮らしや自給自足に憧れがあり、自然に囲まれたなかで、木版画という自然のものを使って活動をしたい」という希望を話したところ、大樹町の若手芸術家地域担い手育成事業のモニターツアーの誘いを受け、4年生の夏休みに1泊2日のファームステイを体験しました。
このときが下山さんにとっての初めての大樹町訪問。
「大学4年生の時点で就職活動もしておらず、企業に勤めることには正直ピンと来ていませんでした。これからどうしようと思っていたところでモニターツアーに参加し、ここでなら、生活の安定を得ながら制作を続けられそうだし、憧れだった田舎暮らしもできる。やってみてダメならまた考えよう」との思いで、大樹町に来ることを決めました。
酪農と制作を両立すること
こうして、2017年3月に大樹町へ移住をした下山さん。
最初のお仕事は酪農ヘルパーのお仕事でしたが、その年の末には退職し、その後は夜だけのパートで生活を切り詰めたりしたことも。最終的には、現在働いている大和地区の森田牧場に落ち着きました。
1日のスケジュールはというと、朝5時30分から9時30分、そして夕方は17時前に出勤して20時30分まで仕事をするというのが平均的なスケジュール。日中の空いている時間に、アトリエで制作活動を行います。
大学を卒業して、酪農家として新社会人のスタートを切った下山さん。かれこれ4年以上も仕事を続けていることになります。全くの未経験からのスタートでしたが、制作との両立は、大変ではなかったのでしょうか。
「今、思い返してみると1年目は結構大変でした。大学の制作環境が恋しくて『何しにきたんだっけ』と思うこともしばしば。どうにもならない気持ちが、当時の作品にもよく現れています。作品に自分を投影しようと思っているわけではなかったのに、この頃の作品のタイトルは全部『帰る』という言葉が入っていて(笑)」
1年目に制作した『帰り道を忘れた子』は、月面探査機のような球体のロボット(実際には灯油タンクをモチーフにしているそう)が雪山にポツンと佇んでいます。
「地球が廃退して、人類がいなくなったところに月からやってきたのがこの子。長くこの場所にとどまりすぎて、どこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのか分からなくなってしまったというストーリー」です。社会人1年目の寂しさや、大変さのようなものが反映されているのかもしれません。
▲『帰り道をわすれた子』(2017)
「今お話しした通り、1年目は大変だったのですが職場の環境も変わり、徐々に仕事にも慣れてきました。自分でいうのもなんですが、わりとなんでもそつなくこなせるタイプなんです。その反面、なかなか辞めるという選択肢が取りにくいところもあって、今でも続けられているのかなと思います」
酪農と制作の両立には大変なところもありますが、もちろんメリットも大きいようです。
「酪農の仕事してるときに、色んなアイデアが思い浮かぶことが多くて。生活が安定していることはもちろんですが、それも良いところかなと思っています。体を動かしてるときに色々なアイデアが浮かんでくるので」と創作活動において相乗効果があることを教えてくれました。
大樹町暮らし5年目。見えてきた変化。
大樹町に住んで5年目の下山さん。20代の下山さんにとっては、とても重要な期間だったように思えますが、心境の変化はあったのでしょうか。
「私が田舎暮らしをしたいと思ったのは『人付き合いが苦手だったから』というのもありました。家のなかでひっそりと暮らしたい、自分のテリトリーのなかで好きなことをしたいと思っていたんです。田舎特有の密なコミュニケーションを必要とされる場面もありますが、意外と十勝では、コミュニティに無理に入り込まないでも生きていくことができました」
これは、ローカルへの移住を検討する(主に都会で暮らしてきた)人にとっては特に気になる点かもしれません。私(長谷川)も移住前は心配をしていましたが、特に苦労を感じることはありませんでした。単身でなのか、家族でなのかによっても、人づきあいは変わってくるかもしれませんが、距離感は自分でコントロールできると思います。
人との距離感を一定に保ってきた下山さんですが、最近は「もっと人と関わりたい」と思うようになってきたのだそう。
「ある人から『苦手だと思っていることは本当はやりたいことだったりするんだよ』と言われて『私は人が嫌いと思っていたけれど、本当は人と関わりたいのでは』と思うようになりました。そこで今年に入ってから、一人でいろんなところへ行ったり、いろんな人と関わるようになるとコミュニケーションを取ることがだんだん楽しくなってきたんです」と思わぬ変化があったことを教えてくれました。
「版画家の自分」はひとつの側面に過ぎない
最後に、下山さんが考えている将来について伺ってみると「大学のときにしたかった田舎暮らしの理想を叶える」という答えが返ってきました。どういうことでしょうか。
「今は公営住宅に住んでいるのですが、家と勤め先の牧場、アトリエを往復する日々は、私が描いていた理想とは少し離れています。まずは、一軒家を探して、自分のアトリエやギャラリーとして使用したり、誰でも使えていろいろな人が集まる場所を作りたいんです」
絵を描きたい人が制作の場として、仕事をしたい人はコワーキングスペースとして。キッチンをカフェとして利用したり、夏休みには子ども向けのワークショップを。ミニシアターや本屋さんなどの文化的な要素も取り入れたい……「やりたいことはめちゃくちゃある」と楽しそうに話します。
「田舎で暮らすことは好きですが、文化的な刺激は少ないですよね。しかもコロナ禍になって自由に往来ができなくなりました。もっと近くに文化的な場所を作りたい、作らなきゃと思ったんです」と、コロナ禍によってさらにその思いが増したようです。
特にギャラリーでは「十勝にゆかりがない作家さんの作品もたくさん展示がしたい」と意気込みます。下山さんは、東京や大阪などの都市部で展示をする機会もあり、大樹町で作った作品が、都会の人にとっては新鮮に映ることを知りました。
「例えば、この『Space station-roll-』は、このあたりに住む人であればおなじみの牧草ロール(牛の餌になる牧草を丸く固めたもの)をモチーフにしていますが、『原発の放射能汚染ごみ?』と聞かれたこともあります(苦笑)これは極端な例ですが、住む環境や普段の生活で目にしているものが違うと、作品の見え方もこんなに違ってくるんだなと」
▲『Space station-roll-』(2019)
文化の発信拠点として、様々な人が交錯するハブとして、そして下山さん自身が「自分のやりたいを叶える場所」として……下山さんがつくるコミュニティスペースに期待が高まります。
「先日、大学の教授がリモート授業で『僕たちは絵を描くために生きているのではない。生きているから絵を描いている』とおっしゃっていたのですが、それに強く共感しました。私は絵を描くから私なのではなくて、たくさんやりたいことがあるなかのひとつが絵を描いたり、版画をつくることだというだけ。だから、絵で食っていこうという気持ちはなくて、描きたいと思ったときにいつでも描ける状況を自分で作っていきたいんです」
牧場で酪農の仕事をする。大樹町で暮らす。新しい場所に飛び込む。人と関わる。ひとりで過ごす……絵を描くこと以外の時間があるからこそ、絵を描く動機ができるという下山さん。
版画家という肩書きにとらわれることなく、自分の人生を模索しながら「好き」を追求している姿勢に、下山さんのこれからがますます楽しみになる筆者なのでした。