なぜ冬は朝早く起きられないのか、大真面目に考えてみた【植松萌子】
今朝も、布団が私のことをなかなか離してくれなかった。
私は全力で起きたいと思っているにも関わらず、だ。今これを読んで深く頷いてくれた方も多いのではないだろうか。
そしてこういう時に限ってどうでもいいことを本気で考え出す。
「なぜこんなにも起きられないのだろうか?」という疑問が止まらなくなってしまったので、今朝布団の中で考えたことを皆さんにお届けしたい。
今回の前提
「起きられない朝」にも色々な条件や場合があると思うので、今回は私の今朝の状況を前提としたい。
場所:大樹町
季節:冬
時刻:5時30分〜7時頃
体調:万全
天気:晴れだが夜の間に降雪し、5〜10cm程度の積雪
その他の状況:
・夫婦二人暮らし
・7時50分には家を出発しないと遅刻してしまう
考え得る原因①ぐうたらな性格
「どうせ起きる気がないだけなんじゃない?」まず最初に浮かぶのがこれだろう。
確かに私はぐうたらでズボラな性格だ。休みの日はソファーから動きたくないし、栽培が簡単な多肉植物も枯らしてしまうほど。これはもう性格が原因だとしか言いようがないように思えるが、実はそうではない。
なぜなら私は、以前は早起きが得意だったからである。
約束の時間に遅刻することはほとんどないし、気がついたら目覚ましが止まっていたという経験もない。
でもぐうたらな性格は昔から変わっていないので、これは今早起きができないということには関係がなさそうだ。
考え得る原因②就寝前のスマホ
よく「寝る直前までスマホを見ているのは良くない」と聞くが、なぜなのかよく知らなかったのでこの機会に調べてみた。
人を休眠や睡眠に誘う「メラトニン」というホルモンは、強い光を浴びると分泌量が減り、反対に暗い所にいると分泌量が増えるんだそう。なので暗い部屋でもスマホを見ていると、脳が「昼間だ」と錯覚し睡眠が浅くなってしまったりするようだ。
なるほど、これは体に良くない。しかし、おそらく私は寝る前のスマホはやめられそうにないので、これはもう受け入れることとする。寝る前に漫画を読む時間をなくすわけにはいかないのだ。
考え得る原因③冬季うつ
「冬 起きられない」で調べたところ、冬季うつ(季節性感情障害)というものがヒットした。しかしながら、「楽しめていたことが楽しく感じられなくなる」という項目に全く当てはまらなかった。先日友人と桃太郎電鉄で大盛り上がりしたばかりだ。最高に楽しかった。
私は当てはまりませんでしたが、結構症状がある方もいるようなので、気になる方は調べてみてください。
考え得る原因④冬は寒い
当たり前のことだが、私が住んでいるのは十勝の大樹町だということを思い出していただきたい。
神奈川の実家で「寒いな〜」と感じる朝、ストーブをつけると室温は10℃前後だったが、大樹町の寒い朝の最低気温はマイナス20℃。
室温こそ18℃ほどだが、ベッドの枕側には窓があり、そこから漂ってくる冷気は関東とは比べ物にならない。
一年で一番寒い日の最低気温はマイナス25℃を下回り、日本で一番寒い町になる日も少なくない。
本能的に、反射的に、考える間も無く、毛布を頭からかぶっている自分がいる。
隣で寝ている夫も同じく、冬眠かのようにすっぽりと毛布をかぶって眠っている。・・・息苦しくないのだろうか。
これは明らかに早起きができない原因だ。寒すぎるのだ。
布団が私を離してくれないところを見ると、布団ももしかしたら寒いのかもしれない。(決して私が布団を離さないのではなく、布団が私を離さないのである。)
じゃあどうやって起きる?
と、色々考えてみたが、やはり寒いことが一番の原因のようだ。
問題はこれをどう解決するか。大樹町の冬が寒いのは変えようがない。
では、今朝は一体どうやって布団から這い出たのかというと、早朝から町内を走り回る除雪車の音がきっかけだった。
朝4時30分頃から町内の雪をかき集めていく除雪車の「ガーーーーー!!ピピーピピー・・・ガーーーー!!!!!」という音で私は目が覚め、そこから二度寝をするも、「除雪車の人が頑張っているのだから私も家の前を除雪しよう・・・」と暖かい布団からのそのそと起き上がった。
除雪車の作業後に家の前に雪を出しておいても、運んでもらえずにずっと残ってしまうので、自分だけ除雪をしていないとご近所さんにご迷惑がかかってしまうのだ。
いつもお世話になっているご近所の皆様にそんなご迷惑をかけるわけにはいかない。
むしろ余力がある時にはお隣さんの除雪を手伝ったり、手伝っていただいたり、「お互い様」で成り立っている人間関係だ。
「田舎の人は優しい」「むしろ田舎こそ冷たい」など様々な議論があるかもしれないが、結局は自分がどんな人間関係を築いているかなのだ。田舎だからとか都会だからということではないように思う。
▲飛行機から見下ろした冬の十勝
神奈川にはないものが原因で早起きが苦手になっているが、神奈川にはなかったものがきっかけで起きることもできている。
つまり、「人のためになら起きられる」ということなのかもしれない、というのが今朝の結論である。
これって、案外どんなことでも共通かもしれない。
自分の部屋の掃除はできなくても、人と共有するスペースの片付けはできてしまったり。
自分のためだけに自炊をするのは面倒でも、誰かのためにご飯を作ることは楽しかったりするものだ。
誰かのために早起きをする、というのも悪くはないだろう。
ここで新たに生まれた疑問に私は答えを出せないでいるので、今回はこのへんでお別れ。
新たな疑問というのは、「人のために起きられるなら、夫の朝食を作るためと思えば早起きなんて楽勝なはずなのに、なぜ起きることができないのか?」ということ。
共働きとはいえ、夫の方が遅くまで働くことが多いので、早く起きて朝食を作るのは私の役目になっている。
このままでは夫が遅刻しそうだと分かっていながらもまぶたが開かない。「人のため」なのになぜ・・・
迷宮入りになる予感もするし(なんなら未解決事件になる可能性まである)、これはまた暖かい布団の中でゆっくり考えるとする。